『最期を見届ける強さ』
夜勤だった三谷さんから、「〇〇さん、今夜はもう声が出ない状態だった」と引き継ぎがあった。
LINEの通知を見て、僕は明日の早番にちょっと緊張していた。
「もしかしたら、朝には……」
その言葉の意味が、なんとなく胸に残った。
僕はスマホで「看取りとは」と検索してみた。
――“看取り”とは、人生の最終段階にある人の時間を、穏やかに、安心して過ごせるよう支えるケアのこと。
治すことではなく、寄り添うこと。
ただそばにいて、「あなたはひとりじゃない」と伝える介護。
画面の文字を読んで、僕の中にじんわりと静けさが広がっていった。
……でも、実際に目の前でその瞬間が来たら、僕はどうすればいいんだろう。
朝、いつもの現場に入ると、まだほんのり夜の空気が残っていた。
窓際のカーテンから、うすく光が差し込んでいる。
三谷さんは静かに立っていた。ベッドサイドで、〇〇さんの手をやさしく握りながら。
「おはよう、みなぎくん。来てくれてよかった。…今、呼吸がゆっくりになってきてる。」
僕は言葉にならないまま、そっとその場に腰を下ろした。
〇〇さんのご家族がベッドの反対側に座っていて、小さな声で名前を呼んでいる。
「お父さん、来たよ。…ずっと、ここにいるよ。」
三谷さんは、ご家族の背中にそっと手を添えながら、
静かに見守るように立っていた。何も言わず、何も急かさず。
そのとき、〇〇さんの呼吸が、ふっと止まった。
誰も声を上げなかった。
ただ、誰かが泣くような、風のような気配だけがあった。
その後のケアは、静かで、でもとても丁寧だった。
三谷さんの手は落ち着いていて、まるで“ありがとう”って言っているみたいだった。
ご家族が「本当に…ありがとうございました」と頭を下げたとき、僕も一緒にお辞儀をした。
でも、心の中はまだ追いついていなかった。
人が亡くなるって、こういう時間なんだ――
見送りを終えて、現場の空気がほんの少し軽くなったように感じた頃、
僕は三谷さんに聞いた。
「怖くなかったんですか……? 最期の瞬間って。」
三谷さんは少し笑って、
「最期を見届けるのって、強さじゃなくて、優しさだと思うよ」と言った。
その言葉が、僕の中でずっと残っている。
三谷さんの背中は、この現場で僕が初めて“追いかけたい”と思った人の姿だった。
その背中が、もうすぐ見えなくなることを、僕はまだちゃんと受け止められていなかった。
〇〇さんのいないベッド。静かにカーテンが揺れている。
ほんの数時間前まで、そこに確かに“生きていた人”がいたということ。
看取りって、終わりじゃなくて、「見届けること」なんだ。
そう思ったら、僕は少しだけ深呼吸ができた。
みなぎの一言日記
人の命に向き合うって、思ってたよりずっと静かで、深くて、こわかった。
看取りって、「ただそばにいること」なんだと思う。
何かしてあげるんじゃなくて、そこに“いる”ことに意味がある。
でも、そこに立っていた三谷さんは、すごく優しかった。
僕も、あんなふうになれるだろうか。
みなぎメモ|看取りケアで学んだこと
- 看取り期に入ったら、時間を“整える”ことが大切
静かな空間の中で、穏やかな時間を一緒に過ごすことが、ご本人にとっても、ご家族にとっても意味のある時間になる。 - ご本人への声かけは、「変わらずここにいるよ」と伝える意味がある
意識がなくても、声は届いていると信じていたい。三谷さんの声かけを聞いてそう思えた。 - ご家族への寄り添いも、介護士の大事な役割
特別な言葉がなくても、そばにいることで安心してもらえる場面がある。 - “強さ”じゃなく、“優しさ”でそばにいる
最期の時間に必要なのは、何かをする力よりも「静かに寄り添う姿勢」だと知った。 - 死後のケアも、その人の人生の一部
三谷さんのケアは、最期までその人を大切にしていた。僕も、そんなふうに寄り添える介護士を目指したい。
※この物語はフィクションですが、介護の現場で実際に起こり得るエピソードをもとに構成しています。
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